2009年9月29日火曜日

感謝 成長 平和


感謝・成長・平和 の3つの言葉はGrowing People's Willのキーワードです。

このGrowing People's Willを通して、世界の優しい人の気持ちをそれを必要とする子供や若者に届けようと思っています。

政治・経済・国境・文化・宗教と複雑なことを数えたら限りないですが、優しさと強さをもつ人は繋がっていきます。

まずは日本から始まります。「田舎の泊まろう」にでてくるような日本の優しく強い人達、そんな人達の気持ちを途上国で頑張る子供や若者に少しでも多く届けたい。

Growing People's Willの起源はそんなところにあると思っています。

2009年9月27日日曜日

ソクラテス・メソッド


教育(Education)という言葉の語源であるラテン語の「エデュカーレ」には、本来「引き出す」という意味がありますし、古代では教育者の仕事は生徒自身から彼らがもっている微妙な知覚や洞察力を引き出すことでした。

こうした教育はソクラテス・メソッドを模範しています。これはソクラテスが発明したものではありませんが、彼によって有名になったテクニックです。

このテクニックは、先生が鋭い質問をいくつか生徒に投げかけ、彼らに自分の知覚とアイデアを試し、弁護し、説明するように仕向けるというものです。(中略)

現に古代ギリシャ人が学校を作ったのは、生徒の教育と同時に先生のためでもありました。その時代のリーダー的思想家たちは、教えることを通して、観客から常に自分のアイデアや知覚に対する確信を得ていました。

ソクラテス・メソッドは、人口10万人足らずの小さな都市、古代アテネの人々に偉大な芸術や学問を生み出させました。

(アインシュタイン・ファクター ウィン・ウェンガー/リチャード・ポー著 きこ書房 より)

2009年9月26日土曜日

学ぶ姿勢

空手を始めて5年過ぎた頃壁にあたり、何かないかと模索していたのですが、フルコンタクト空手で有名な選手達が太氣拳(意拳)という中国拳法を習っていると本に書いてあったので自分も習いに行きました。

太気拳では立禅というイメージしながらじっと立ってたり、動いているかわからないぐらいゆっくり動く這いというトレーニングを基本としています。長い時間同じような姿勢をするにはリラックスして筋肉の頑張りに頼らない自然な姿勢でなければできません。その感覚をつかむにはウエイトトレーニングは妨げになってしまうのですが、空手も平衡して行っていたので打撃を受けても大丈夫なようにスクワット等ウエイトトレーニングでお肉を付ける事はやめれませんでした。そして頑張りで行う立禅・這いは顔が歪む程辛く、なかなか進歩しないのでした。

4年目ぐらいに太氣拳でも段をいただき、これをきっかけに向上できるかなと思ったのですが、他の道場生がどんどん上手くなっていく中、相変わらず私は進歩少なく焦りが募るのでした。5年続け、自分の中のパソコンでいうところのCPUの性能が上がった実感はありましたが、他の道場生たちと比べると進歩が少なかったのは自分が一番感じていました。

自分から積極的に学びに行った折角のすばらしい教えも素直に学び、実践しないと得ることは減ってしまう、いったん自分の経験からくる考えは真っ白にして学ぶことが大切だったなぁと今更思うのでした。

2009年9月24日木曜日

怒ると損をする

ケニアで活動している時よく聞いた言葉。
真剣に仕事に取り組み、熱くなっている日本人と楽天的な現地の人たち、一緒に仕事するとその温度差を埋め合わせるのにどうしても怒りがでてきてしまう。

そんな状況に冷静に気持ちを転換させてくれる先輩たちの経験から伝えられたお言葉、「怒ると損をする」。

同じ事に対して怒る人となんとも思わない人。その違いはその起きた事をどう考えるか。言わば心の問題。怒れば体に悪いし、周りも気分悪いし、後で考えるとバカバカしいことが多い。私もケニアで仕事する上で最初はプリプリしていたが、徐々に相手の立場に立って物を考えられるようになり、怒る事も少なくなっていった。

怒りは時として行動を起こすいい動機になる。偉人で短気だった人もいたでしょう。でも怒らないに越したことないのも確か。

ケニアで仕事したおかげで「怒ると損をする」という言葉を身にしみて経験する事ができたので、日本で仕事している中ではほとんど怒る事はありません。

いつもプりプリ怒っている人、体に悪いので早く氣づいたほうがいいですよ。怒ると損するってこと。

2009年9月23日水曜日

ワーク・ライフ・ソーシャル バランス


社会起業家になる方法 大島七々三著 より

NPO法人の「音の羽根」の馬渡さんがインタビューを受けてこう答えている。


最近、ワーク・ライフバランスっていう言葉をよく聞きますね。人生にとって仕事とプライベートのバランスの取れた生き方をさす言葉ですけど、僕らが今、やろうとしているのは、ライフとワークの他に、ソーシャルという要素が加わったワーク・ライフ・ソーシャルバランスの生き方です。

ワークとライフとの二つで考える時代より、そこにソーシャルを付け加えることで、より楽しく充実した人生を歩むことができる。(中略)

少なくとも、社会のためにいいことをするのに、自分の生活を犠牲にしなければならないなら、若い人たちが手をださなくなると思う。(中略)、、

すこし会社で働くことにも慣れてくると、ほんのちょっと余裕が出てくるんですよね。その時に「俺ってそもそも何でここで働いているんだ」とか「何のために生きているのか」といったことを考えますよね。

そこで考えて、ずっと何か利益だけを追求して働いているのって生き方的に違うよな、と思う瞬間があると思います。

そういう人たちがスムーズに「いいこと」を始められるような社会になることが大事だと思うんですよ。それがワーク・ライフ・ソーシャルバランスってことだと思うんですよね。」

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「音の羽根」は着メロのダウンロードでチャリティーの仕組みをつくるほか、ろう学校での手話コンサートや環境イベントのプロデュースを手がけるなど、音楽とITを組み合わせた企画で、若者たちの社会貢献活動の和を拡げる。

音の羽根のメンバーは各専門分野をもつプロの集団が週末社会起業家として活動している。

2009年9月21日月曜日

幸福の鍵


Enough
True Measurement of Money, Business, and Life
John C Bogle
(波乱の時代の幸福論 ランダムハウス講談社)

John C Bogleはインデックス投資信託を生んだバンガード社の創設者。

長期投資でなく、短期の投機目的で資金を集めるだけ集めて、受託責任を忘れている金融機関や運用ファンドに強く警笛をならしています。

要するに集めて損しても責任はとらず、自分達の巨大な取り分だけは確保するような風潮。そして、その巨大なお金目当てに能力の高いたくさんに若者が引きよされている事実。

お金(成功)が手段でなく目的や主になってしまっている社会・世界に対し、「足る」ことを知り、人格を磨き高潔になることを提唱している。

その本よりの引用

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成功は幸福の鍵ではなく、幸福こそが成功の鍵である

アルベルト・シュバイツァー

心理学者は人間の幸福を定義する3つの要素を的確にとらえている。金は幸福をもたらす要因のように思えるが、物質的な豊かさが向上しても人間はすぐそれに慣れてしまうので、どうやら一時的な幸福しかもらたさないようだ。

アメリカン・サイコロジスト誌に掲載された権威ある論文によると、幸福を決めるのは金ではなく、次の三つの要素の組み合わせなのだそうだ。

第1は自主性。自分の人生を自分で決められる度合い、すなわち「自分のことを自分でする」ことができる能力の度合い

第2は、ほかの人間との関係を維持すること。家族への愛情や、友人や同僚がいる喜びや、人生のあらゆる場面で出会う人々に心を開くことだ。

第3は、能力を活かすこと。神に与えられた才能や自分で獲得した才能を生かし、学びたいと考え、学ぶ努力をすることだ。






2009年9月20日日曜日

暖かい場所

小学1年生の男女の双子の子供がいます。1歳になる前から海外を転々としていていました。

去年の10月から東京で生活をし、小学校に4月に入学してから毎日学校生活を楽しんでいます。とにかく周りに日本人の友達がたくさんいることが嬉しいようです。

外国での生活が長かったため、友達が知っていることも知らないことが多く、いつまでも垢ぬけない二人のようです。

二人は新宿にいくと必ずあるデパートの屋上に行きたがります。そこにはいくつかの小さな乗り物、ゲーム、UFOキャッチャーがあるだけです。すこしさびれた感もあり、それほど楽しそうなところでもないのですが、二人は必ず行くと言い張ります。

DSだとかWiiだとか、その他楽しいおもちゃに囲まれているのにどうしてそのデパートの屋上に行きたがるのか不思議に感じていました。

「もしかしてそこで働いている人の優しさなのでは」と思いました。そこには年配の男性、若い女性の方がゲームに商品を足されたりしています。その方たちはいつも優しく、子供達がなにかゲームをしようとすると、ラムネ、指輪、スーパーボールをなんとか取らせてくれるようにします。

この前はうちの二人がUFOキャッチャーをした時は、わざわざケースを開けて、ぷーさんのぬいぐるみをとれる寸前までのところ置いてくれたそうです。 垢ぬけない二人は結局とれなかったようですが、、。

商売というより、子供たちの嬉しい顔・笑顔を創られていて、それを楽しまれているような気がしました。

うちの双子にはゴチャゴチャした新宿の中にある暖かい場所なのかも知れません。


地位が人を育てる

海外暮らしをして実は日本の事あまり知らないという事に氣づいたので、帰国後とりあえず武道を習おうと空手道場の門を叩き、入門しました。

空手は級が上がる毎に帯の色が変わります。フルコンタクト空手という実際に技を当てるルールで、強さが求められる流派だったので帯の色なんか関係ないと思っていましたが、4年経った頃初段を取得しました。

黒帯を取得したとき師範から黒帯とってからが修行の始まりだぞと言われ、そのときは意味わかりませんでしたが、後にその意味がわかりました。 黒帯を締めるということは所属する道場を代表する事にもなってしまうので責任も重くなります。練習でも級の人には加減して攻撃しつつ、相手からは思いっきり攻撃を受けても涼しい顔をしていなければいけません。だから黒帯をとってからは飲みに誘われてもトレーニングを優先し、スポーツジムに通ったり、ジョギング、プールで持久力付けたりと自主的にこっそり行うトレーニングが増えました。

とりあえず10
年と決めて始めましたが、10年間続けることでき、特に黒帯をとってから過ごした空手生活が自分にとっては大きな自信にもなり、誇りにもなりました。空手を辞めた今でも事ある毎に空手家として根性あるところ見せなければとついつい頑張ってしまいます。

2009年9月17日木曜日

松下政経塾 5誓

松下幸之助さんが創られた松下政経塾。その政経塾に5つの誓いがあるようです。

そのひとつ、

1.感謝協力の事 

いかなる人材が集まろうとも、がなければ成果は得られない。常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、心の発展も生まれてくる。

途上国で仕事をしています。個々人の力は高く、自分よりも秀でた能力の人にあうのは頻繁です。しかし、和がなく、集団や国としては大変残念な状態です。 

人と人の間に感謝の言葉をきくことは稀です。組織でも、社会でも、日常でも、「感謝」の言葉をみつけることは難しいです。

道を聞いても「ありがとう」と聞いた側がいうことはありません。ストリートチルドレン達は差し出されたお金を自分の手から無言でとって走っていきます。

感謝の気持ちと国の繁栄に大きな相関関係があるように思えて仕方ありません。


2009年9月16日水曜日

ありがとう、ピクトさん

最近知ったピクトさん研究のホームページ
http://www.pictosan.com/

ピクトさんとは非常口を知らせる表示などに描かれている人型の絵の事。ホームページでは世界各国のその絵を紹介しているのですが、擬人化して紹介しているコメントが実に面白く、笑いを提供してくれます。

笑うことは免疫力を高める効果あるらしいので、ピクトさんで今年のインフルエンザ対策になりませんかね?本も出版されているようです。

2009年9月15日火曜日

あ・り・が・と・う


医学博士・経営学博士・セラピストとして有名な、井上裕之さん。

すこしでも成長したいと思い、本を多読するように試みています。井上さん著書の「自分で奇跡を起こす方法」は去年読んだ本でベスト3に入るほどインパクトがありました。

交通事故に遭い、本人とお子さんは無事だったものの、奥さんは意識不明の重体になりました。8時間の手術は成功しましたが、医者からは「良くて植物人間になるだろう」と言われます。

事故から1カ月経過しても、奥さんの様態に変化はなく、ずっと眠りつづけます。井上さんはあまりに過酷な現実に茫然となり、眠れない日々がつづき、精神的に不安定になり、ひとりでいるとただ涙があふれてきたとのことでした。

しかし、絶対現実からは逃げないと決め、不安や恐怖はあったものの、生死をさまよっている妻を守り切ると決断します。

事故から2カ月たっても、依然として奥さんは眠り続けます。井上さんは「妻が目を覚ましたときに、それを支えられる自分でありたい」と願っていました。

悲嘆にくれる時間よりも、希望をもって自分の成長にその時間を使うと決めるのです。

そして事故から3カ月経過したときに、奇跡の瞬間が訪れます。奥さんの脳波が動き出したのです。そして、その3カ月後には、意識も取り戻します。事故から6カ月経過して意識をとりもどすのです。

動くことも、声をだすこともできない状態でしたが、奥さんは井上さんを見て、わずかに動く左手で、井上さんの作ったひらがな表を指差したようです。

「あ・り・が・と・う。 こ・ど・も・は・げ・ん・き・? が・ん・ば・る・ね」

奥さんは意識がなくても井上さんがずっとずっとそばにいることをしっていたのに違いないと思いました。井上さんの願い・想いがすべて奥さんに伝わっていたのではないでしょうか、、

こんなすごい「あ・り・が・と・う」には、ただただ涙してしまいます。

2009年9月11日金曜日

平和とは ダライ・ラマ

Peace is of little value to someone who is dying of hunger or cold. It will not remove the pain of torture inflicted on a prisoner of conscience. It does not comfort those who have lost their loved ones in floods cased by senseless deforestation in a neighbouring country.

Peace can be only last where human rights are respected, where the people are fed, and where individuals and nations are free. True peace with ourselves and with the world around us can only be achieved through the development of mental peace.

Dalai Lama (The Path to Tranquillity)

訳 

飢えや寒さで死んでいる人にとって平和はあまり価値がない。また、平和は肌の色や思想の違いで不当に囚われている人の痛みをやわらげられないだろう。隣国での無分別な森林伐採によって洪水が起こる。その洪水で愛する人を失った人を平和は慰めない。

人権が守られ、食べ物があり、人や国が自由である時のみ平和は持続する。心の平和を通してのみ心の平和が生み出されるのだ。

ダライ・ラマ 

ありがとうリレー 日本~フィリピン③

フェリーで知り合った若いカップルはレイテ島についてからサマール島までのバスを調べてくれ、翌日の朝に出発する便を手配してくれました。

翌朝まで時間があったので、よかったら泊まってけと言われたので甘えてお世話になることにしました。家族とのランチにおよばれし、夕食もご馳走になり、親戚の家にも連れていかれておしゃべりを楽しみました。翌朝もバス停まで送ってもらい、朝のコーヒーまでおごってもらいました。あまりにもお世話になってしまい、お返しをしたいところだったのですが、日本から氣の利いたおみあげも何も持っていませんでした。

別れ際にせめてものお礼にと思ってお金を渡そうとしたのですが、そんなことやめてくれとすごく嫌な顔をされていまいました。

後で人を見る目がなかったと反省してしまったのですが、その青年は以前日本に来たことがあり、そのとき日本人にすごく親切にされたと言っていました。そのときされた事をきっと私にお返ししてくれたのだろうなと想像するのですが、その青年にお返しできなかった自分もいつかフィリピンの人にお返ししてあげたいという気持ちが残ったのでした。

親切されたことにありがとうと思う気持ち、またその親切を他の誰かにしてあげようと思う気持ち、ありがとうのバトンを次々渡す習慣っていいなぁ、そんなこと自然にやってる人がいるんだなぁと思うと嬉しくなりました。

その後サマール島へ行ったのですが、空港が閉鎖されていたので急遽引き返し、セブ島に渡って無事飛行機で日本に帰ってきたのですが、その後の旅であのカップルのような人に出会うことはありませんでした。

2009年9月10日木曜日

ありがとうリレー 日本~フィリピン②

私の旅のスタイルは暖かい国へ行くときは2、3日分の乾きやすい着替えをディーバックに詰め、運動靴と動きやすいゆったりしたズボン、旅行中は毎日洗濯、必要なものは現地で調達しながら身軽に移動。観光地よりなるべく地元の人々との交流もとめて、観光客が行かなそうな町を目指し、地元の人が利用する交通機関を使って移動の過程を楽しみます。

この時は上司お勧めフェリーを使って島を移動するプランにしました。マニラの町は乗り合いバスや電車に乗れて満足したので1泊だけにし、すぐにフェリーに乗りました。まずはレイテ島をめざして。そこからバスに乗ってサマール島で海水浴して帰りは時間に正確な飛行機でマニラ~東京と帰る計画。

マニラのドブ臭く、どす黒い海から徐々に綺麗な海へフェリーは順調に移動していたのですが、次の日エンジントラブルでどこかの島のマングローブが茂る入り江で丸1日足止めになってしまいました。しかし、フェリーのような狭い環境で地元の人たちと時間を過ごすと、町で会うより仲良くなれる可能性が高まります(町で声かけてくる人は大抵下心がありますからね)。
私は若いカップルと仲良くなり、レイテ島に着いたらサマール島までの手配を手伝ってくれると約束してくれたのでした。

つづく

2009年9月8日火曜日

ありがとうリレー 日本~フィリピン~ ①

今は仕事の都合で行けなくなってしまったが、海外旅行は趣味の一つでした。

今から10年ほど前、ぎりぎりまで夏休みの日程が決められず、明日から夏休みというところで上司との会話。

上司:「おー、明日から夏休みか。どっかいくのか?」

私:「今年は段取りできなかったから1週間ジムでトレーニング三昧しようと思っています」

上司:「なに!せっかくの休み、どっか旅行いけよ。おーフィリピンなんかいいぞ!フェリーでアイランドホッピングなんて最高だぞ!」と元旅行代理店にいた上司は旅行プランを練りだし始めた。

急な計画でしたが、翌日格安チケットを手配し、地球の歩き方を買ってフィリピンに旅立ったのでした。

つづく

2009年9月7日月曜日

ダライ・ラマ 成功の源


I have found that the greatest degree of inner tranquillity comes from the development of love and compassion.

The more we care for the happiness of others, the greater is our own sense of well-being.

Cultivating a close, warm-hearted feeling for others automatically puts the mind at ease. It is the ultimate source of success.

from a book "The Path to Tranquillity", His Holiness the Dalai Lama

もっとも偉大な心の静穏は愛と同情からくる。

他人の幸せを思えば思うほど、自分たちを幸せと感じることができるだろう。

他人に対して親密で優しい気持ちをもつことで気持ちは安らぐ、それが成功の究極の源だ。




2009年9月6日日曜日

「ありがとう」を言うために人生はある。


いつも幸せな人の心のルール 黒岩貴 著 フォレスト出版 より 
GPWにぴったりの部分を引用させていただきます。

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人はどうしたら幸せになれるのか。この問いかけの答えは「欲求を減らして、感謝心を高めること」です。

美人やハンサムに生まれることで幸せになれるのではなく、現状を素直に受け入れ、感謝することでしか私たちは幸せになれないのです

欲求が強いのは、苦痛を生じさせます。「諸悪の根本は煩悩にあり」です。

足ることを知らねばなりません。「お金を持っているか、持っていないか」 「人にあいされているか、いないか」 結局は私たち自身の中にある感謝心によって、そのあり方が決まります。

ドイツの哲学者ニーチェはこんな言葉を残しています。

「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」

まさにその通りだと私も思います。とにかく人は目の前の事実ばかりに注目し、それが自分のイメージと異なることを極端に嫌います。

なんで、こんなことが起こるんだ!
どうして~~してくれないんだ!

と事実に対して腹を立てるわけです。
しかし、本当に注目すべきは、起こっている事実ではなく、その人自身がどのように捉えたかという解釈の部分なのです。

事実とは、道ばたに転がっている石ころのようなもので、それを拾い上げたとき美しいと感じるか、汚いと感じるかはあなた次第です。石ころそのものに責任はありません。

はるか上空から見れば、人が歩いている道はどれも同じようなものです。

ところが、感謝心の強い人が歩く道には美しい石がたくさん散らばっていて、欲求の強い人が通る道には、汚れた石が敷き詰められています。

この差を生んでいるのは、事実ではなく解釈です。

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2009年9月5日土曜日

アメリカ先住民のことわざ


When you were born, you cried and the world rejoiced. Live your life so that when you die, the world cries and you rejoice. (Cherokee)

あなたが生まれたとき、あなたは泣いて、まわりは笑っていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは周りが泣いて、あなたが笑っているような人生を歩みなさい

他にもこのサイトにたくさん載ってました。英語です。



2009年9月4日金曜日

下村湖人「論語物語」


論語はいろいろ解説本がでているが、下村湖人の論語物語は孔子の教えが物語り風にわかりやすく書かれていた。私が頑張れる心の支えになっている話しを一つ。

弟子が自分は力不足で師のようにはできないと弱気な事を言ってきて孔子が諭した言葉。

力のないものは中途で倒れる。倒れて初めて力の無かったことが証明される。倒れもしないうちに自分から力の足りない事を予定するのは天に対する冒涜だ。何が悪だといっても、まだ試してもみない自分の力を否定するほどの悪はない。それは生命そのものの否定を意味する。

少年のころは、努力して結果がでなかった時、自分の可能性が否定されてかっこ悪いという恐れがあった。また、大人になってからは弱気の時、やる前から「自分には無理」とか自分の可能性にリミッターをかけて行動する気持ちをなくしてしまうことが多かった自分。この論語の話はとりあえず自分の可能性信じて努力してみようという気持ちにさせてくれる話だった。

周りから可能性を否定されるような事を言われても馬耳東風、聞く耳持たずにやり過ごす心の支えにもなった。逆に自分からは人の可能性を否定するような発言はしないようにと氣をつけるきっかけにもなった。

まず頑張ってみて、結果がでなかったらそのとき考えればいいと思えば気楽。消極的になって行動しなかった事は心残りになってしまいますが、積極的な考えで行動したことは今のところ後悔するようなことはありません。一度っきりの人生、後悔少ないように今出来ること一生懸命やっていきたいと思っています。

2009年9月2日水曜日

愛の反対

The opposite of love is not hate, it’s indifference.

The opposite of art is not ugliness, it’s indifference.

The opposite of faith is not heresy, it’s indifference.

And the opposite of life is not death, it’s indifference.

Elie Wiesel


愛の反対は憎しみではなく無関心

芸術の反対は醜さではなく無関心

誠実の反対は異教ではなく無関心

生きることの反対は死ではなく無関心


2009年9月1日火曜日

Dear おばあちゃん、おじいちゃん


今は海外で仕事をしています。8月に帰国して入院する父の病院に通っていました。

大きな病院ではありませんでしたが、入院しているたくさんの年配の方にあいました。
客観的ではないかもしれませんが、多くの年配の方の寂しそうな表情が気になりました。

多くの人の日本での生活はめまぐるしく、家族が入院していてもなかなか病院にくることが難しいんだろうなと勝手に想像していました。

本ブログに引用した「愛の反対は無関心」 マザーテレサも同じことをいっていたようです。たとえばそこに愛があったとしても遠く届けることができなければ、愛を受け取れない人は「みんな自分には無関心なんだ」とても寂しい思いをするのではないでしょうか。

そんなことを考えていたら、こんなアイデアが浮かびました。病院がメールアドレスを設けて、入院している人へのメッセージを受け取り、それを入院している方にとどける。また、必要であればそれを読んで差し上げる。病院ではネットは使えないし、メールやネットをつかう年配やお年寄りはなかなかいらっしゃならないと思います。

忙しい人は手紙を書くのが億劫、でも毎日使っているネット・メールなら入院している人へ、サラサラと思っている気持、感謝や激励を伝えられるかもしれないと思います。

そんな大事なメッセージを入院する年配の方に運べたり、読んだりできるならお金を払ってでもやりたい仕事になる気がしてなりません。


よみがえる貧者の一灯


いつだって本当のヒーローは自分たちの身の回りにいる。輝き放つ無数のヒーロー達は昭和の日本の誇りであり象徴だ。

育っていく子供達にとって明日の日本がすこしでもいいところになればとヒーロー達は願っていたに違いない。

朝日新聞 1971年(昭和46年)5月20日 より。

浴風会は老人ホームである。収容者約800人。都内で二番目の規模。木立にかこまれた広い構内に、病院、寮など二十ばかりの建物が散らばっている。

「郁一」とだけ署名した手紙がはじめて浴風会に届いたのは、7年前、昭和39年の1月だった。五百円札が一枚、きちんとたたまれて同封してあった。

手紙はその後、毎月来た。昭和42年4月、五百円札が千円札になった。二千円になったのは去年(昭和45年)の8月である。

家族の消息がいつも手紙に書かれていた。7年間に長女が生まれ、次女が生まれ、長男が生まれた。母親と当主の弟をいれて7人家族らしい。手紙の字はいつも女性の筆跡だった。

1月下旬、突然、本名で手紙が届いた。いつも上旬に届いていた送金が、二十日ほどおくれていた。こう、あった。

「遅れてすみません、実は自宅から家事を出し、丸焼けとなりました。申し訳ありませんが、しばらく送金を中止させていただきます。再起しましたら、また送ります。お元気で、」

7年1か月、休みなし。送金額が多かった月もあり、総額は九万円に近くなっていた。

「郁一」は夫婦の名、一と郁子をあわせたものとわかった。「お世話になりっぱなし、という法はない。今度はこちらがお見舞いに行きたい」という声が、老人たちの間でおきた。十円玉ひとつ、50円玉ひとつ、と見舞金が集まった。激励文が集まった。焼け跡を、老人の代表がたずねた。「郁一」は三十代前半の、まだ若い夫婦だった。

人生には一生の内、善き事悪しき事様々の事があります故、決してお力落しのなき様、、、、男 87歳

非力の私等で御座います。何分にも、お力添えできないことを悲しむ者で御座います。ただただ奮起あそばす事を、、、女 81歳

ふた月間をおいて、4月5日からとだえていた手紙が届いた。

「ありがとうございました。お礼のことばもありません。8回目の結婚記念日の今日から、また送金させていただきます。」

老人たちは歓声をあげた。

5月も五日付で二千円が届いた。夫婦はまた頑張りはじめたようだ。

「郁一」夫婦をたずねた。食料品店は、小さいが再建されていた。経営者として、二人は忙しく働いていた。一(はじめ)さん33歳、郁子さん34歳、高校の同級生である。

「生きるって、すばらしい。今度の家事で、ほんとうにそう思いました。直後は、自分の家を燃しただけですんだものの、世間に対して悪いことをしたと、と気がめいっていたんです。ところがあの手紙でしょ。災難の後、2ヶ月ちょっとで店が開けました。借金は5年計画で返します。失ったものは失ったもの、とハラがきまりました。うれしいんです、いま。はりきっています」

「公害、交通事故、機関の歯車のような生活、私達だって不平とか不満はありますよ。でも、私たち、人間を信じます。だって、信じたくなりますよ、これだけ善意をつきつけられれば」

選挙、温度差


1992年12月、同期の隊員11名とともに私はケニアに赴任した。ちょうどケニアでは援助国の圧力により、モイ大統領率いるKANU一党独裁体制から複数政党になっての初めての大統領選挙が年末に実施されようとしていた。

新聞では毎日のように暴動で何名死亡だの内戦だの物騒な見出しが一面を騒がしていた。首都ナイロビの中心街でも抗議行動か、ダンプの荷台に数十人人が乗って騒ぎながら町を回っている光景を度々目にした。

「ケニア人は選挙に熱いねぇ」赴任間もなく平和ボケしている私たちにはその緊張感が伝わらず、これから活動するこの国への期待でワクワクだった。投票日前後は何が起きてもおかしくない状態。

自分たちはホテル待機が命ぜられていたが、皆で日本食を食べに夜のナイロビの町へ出て行ってしまい、さすがにちょっと雰囲気が違ったと記憶している。幸い何も起きなかったが、後から先輩隊員達に呼び出され厳重注意された。

叱られても身にしみることなく、反発していた気がするが、後から考えると叱られて当然の行為をしていたわけで、注意してくれた先輩達には感謝すべきであった。92年の選挙では野党の分裂で与党がかろうじて勝利したが、その後の政権交代につながる歴史的な瞬間であった。

昨日の日本での選挙、いつもより少し熱くなった氣もしますが、与党の歴史的敗北は何年か後、また違った印象になるのだろうか。
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